虫が白くなって死ぬ奇病
昆虫観察をしているとごくたまに白い物体に覆われた虫の死骸を目にします。
奇妙な白い物体と、生きた状態で急に死が訪れたかのような立体的な死に方をしている虫を目にして何事だ!?と疑問に思う方もいることでしょう。
これはボーベリア菌という生きている昆虫に寄生する菌類の仕業です。今回の記事では昆虫の体内に侵入して繁殖し、寄生主を泡のように殺すボーベリア菌の妙技を見ていきましょう。
白い虫の観察
残念ながらこの菌に感染して死亡した虫に出会うのは簡単ではありません。カメムシタケやセミタケのような昆虫寄生性の菌類に出会うのには運も必要です。
しかしボーベリア菌は昆虫に広く寄生する菌類なのでチャンスは比較的多い方だと思います。
私的には昆虫観察の機会が増える5月~9月頃に目にする印象が強いのですが、遅いものでは10月下旬頃にも見たことがあります。
このボーベリア菌を利用したボーベリアバシアーナ水和剤(生物農薬)の殺虫効果を評価したものによれば700種もの幅広い宿主がいることが指摘されており、カメムシ、チョウ、甲虫、ハチ、ハエ、ダニ類などが特に好まれるものとされています。
このことから自然界では幅広く寄生のチャンスが見られることは明らかで、私の観察対象になることが多いカミキリムシ類やクワガタでの事例が多いように感じます。
寄生された虫からは白い泡のような特有の菌が見られます。これは純白というよりはやや黄色っぽい色合いをしており、自然界では異常に目立ちます。
虫はまるで「生きている状態から急に死んだ」ような状態に見られるので木々に普通につかまっていたり葉につかまって死んでいるケースもかなり多いです。
もちろん下で死んでいる場合もあります。普通に虫を探す要領で探していけばそのうち出会えると思います。
ボーベリア菌の感染メカニズム
自然界にはただでさえ鳥やカマキリなどの上位捕食者が多いのに目に見えない菌類まで敵としているなんて驚きではないですか?
捕食者は口で食べてしまいますが菌類はそういった口を持ちませんよね。どうやって虫に寄生するのかを見ていきましょう。
これに関してはボーベリア菌を利用した生物農薬の解説を見てしまうのが速いです。
プロセスを分けていくと
①ボーベリア菌が獲物に直接触れる
②ボーベリア菌が発芽して獲物の表皮を溶かし体内に潜入
③体内で菌類が増殖し4~10日程度で死亡
④寄生主の死後、体表を破って胞子を形成
とかなりおぞましいホラーチックな過程を経ます。
我々で想像するならば気が付かない間に血管に菌が侵入して体の自由が利かなくなるとともに死亡し、亡骸が次の菌類を育てる部位となるというかなり怖いものです。
①のボーベリア菌が獲物に直接触れるに関しては難しいように思えるかもしれません。
しかし菌類はシイタケに代表されるように胞子という空気中や水分中を難なく移動できる形態を持ちます。ボーベリア菌密度が高いような場所では木や葉の上など高い位置で宿主が死ねば大量の菌をばらまくことができます。
そうでなくとも胞子単体は風に乗りかなりの距離を移動したり空中を漂うことができますよね。
例えば食パンを購入して未開封のまま放置しておいても無菌状態で処理されたパンはカビが生えません。
しかしひとたび袋を開けてしまえば数日でカビが生えてくることでしょう。それくらい身近に胞子は漂っているということです。
②では体表に付着したボーベリア菌から昆虫が持つ固い表皮を溶かす物質が分泌されて内部に侵入します。
菌類や寄生のプロセスを持つ生き物にはこうした付着面を溶かす機能を持つものが見られます。
ボーベリアの場合にはタンパク質、脂質と昆虫の外郭を形成するキチン質を分解するものであるようです。
植物の例でいえばネナシカズラという葉を持たず、根もなく寄生主に巻き付いてその栄養を横取りするというとんでもな植物がいます。ネナシカズラは植物のみの寄生なので植物の細胞壁を構成するペクチンを破壊する酵素を分泌します。
体内に侵入するプロセスでもその寄生対象によって方法は異なっており、ここに生物の多様性を見ることができますね。
③においては体内で増殖するとその過程で水分が減少することしか分かりません。
しかし36~72時間の短時間で虫を死に至らしめることが分かっています。
飼育環境下などでも発生するボーベリア菌は、昨日まで元気だったのに急に白くなって死んだという摩訶不思議な現象を引き起こすわけですね。
④まで見て寄生のプロセスがはっきりと理解できるはずです。虫を殺すことこそが次の寄生主を探すためのプロセスなんですね。
急速に乾燥させることの影響か、昆虫たちは生活の中で急に死んだような様子を見せます。
虫は高い所で活動していますからこれは菌類にとっては都合がいいですよね。こうしてライフサイクルを描いており、その一端の白く死んだ最もいい見せ場の部分を我々は発見するわけです。
もしかするとこのあまりにも強すぎるプロセスを見て虫が全滅しちゃうのでは?と思うかもしれません。
これに関しては虫の健康状態も重要なようで、我々でいう免疫機能次第で抵抗力を持てるものだと思われます。
ボーベリア菌とミイラ化した虫
自然界ではボーベリア菌のように虫をミイラ化させるような怖い菌類が見られます。
これは例えとしてミイラ化と言っているわけではなく、前述の通り水分を奪われることで乾燥しています。
昆虫病原糸状菌などと呼ばれたりしますが、類似例ではバッタの事例もよく知られています。
写真が無いのですが、バッタのあらゆる仲間が雨の後に葉先に止まってミイラ化しているのを見たことはありませんか?
梅雨時などの雨が続く条件で目にしやすいものですが、これもボーベリア菌に似たものであると上の説明を読んでいると分かりますよね。
寄生主がバッタに限定されるものの急速にミイラ化し、葉先という高い所で胞子を散布させるのです。雨が降ることで胞子が舞い、それが葉を伝って次の寄生者につながるのではないかと思います。
ボーベリア菌を利用した昆虫防除
この記事を読みながらうまく利用したら使えそうだと思いませんでしたか?
ボーベリア菌は生物農薬として実際に使われています。
例えばお庭の植物を加害するカミキリムシ類や農作物に加害する小さなウンカやアブラムシ、ハダニなどなどに利用されています。
研究もされており、主に厄介なカミキリムシを対象としたものが見つかりました。
昔、松枯れを引き起こすマツノザイセンチュウというものがいましたよね。これはカミキリムシと関連の深いセンチュウで、マツノマダラカミキりに寄生しています。
マツの木にボーベリア菌を散布した粘着テープを撒くことでやってきたカミキリに直接ボーベリア菌を付着させることで寄生プロセスを起こさせるという生物農薬で、見ている限りテープ施用区では90パーセンチ以上の高い駆除率が出ています。
菌である以上扱いが難しそうですが、なかなかに面白そうです。
これは自然界に虫を殺す菌類があるという視点や昆虫が白い菌によって殺されているという視点、それらがどのように発生しているかという前述のプロセスを理解していく必要があります。
スプレーを撒いておしまいという目の前のものを取り除けばよいというミクロな視点ではなく、それにかかわる生き物たちの視点から見ていくマクロな視点であると考えられます。
もちろんそのボーベリア菌が周囲の虫に影響を与えるといった可能性が浮上してくるため、どちらが良いのかという話ではありません。あくまで物事を考える視点としての話です。
例えば問題点を見ていくとボーベリアバシアーナの生物農薬評価書ではミツバチへの悪影響が対象区と比べ優位に高かったと指摘されていました。
水和剤や粘着テープなど形は違えども1つの生き物に害を与えるものは何かしら他の生物にも影響を与えてしまうのが難しい所ですね。
ただ個人的には粘着テープ式のものは興味がわきました。性質を理解したら使ってみたいものです。
この生物農薬の事例ではゴマダラカミキリやキボシカミキリといった農作物加害性のあるカミキリが取り上げられていました。
ボーベリアバシアーナは土壌に普通に存在するものとされていますので、興味のある方はそういう選択肢を検討してみるのも良いかと思います。
白く死んだ虫からは我々の眼にできない小さな生き物たちの戦略を見ることができますね。もし白い虫の死骸を見かけたらそれらの位置や付き方、直近の天気などなど考察してみてください。
参考文献
ボーベリア バシアーナATCC 74040
生物農薬評価書
ボーベリアバシアーナ剤の上手な使い方 和田哲夫
害虫としての昆虫の視点を理解しておくと生物農薬使用の可能性を考えられるかもしれません。
pljbnature.com
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